先日、カウンター越しから
中華のご主人が炒飯や八宝菜を作る仕事を
じっと見ていましたら、
イチロー選手が自分のバットを示して、
こう言っていたことを思い出しました。
バットの先端のここまで僕の神経です。
他の選手のバットは絶対に持たない。
手に嫌な感触が残るから。
せっかく自分のバットが
自分の身体の一部になっているのに
そうではなくなってしまう。
もうちょっと違ったかもしれませんが、
だいたいこんなことを言っていたと思います。
ご主人のなべさばきの
極立った感じに見惚れながら、
あの中華なべにも
ご主人の神経が通っているのかなあ、
と思ったりしたのです。
炒飯と八宝菜をいただいてから、
外を散歩をしているときには、
<筆の先>ということを考えました。
リルケさんという詩人は、
お弟子さんみたいな人が
手紙に書いて送ってきた詩を筆写して、
返事の手紙に添えました。
自作の詩を他人の字で見ると、
また何かしら発見があるものだから
筆写して添えました、
というようなことを言っていたと思います。
また、リルケさんは、
あなたの詩を筆の先まで感じたいから、
筆写をしましたとも言っていました。
僕は、リルケさんらしい
素敵な言い方だなあと思い、
筆の先まで感じるというのは、
一種の比喩表現だとずっと思っていたのですが、
もしかすると、
リルケさんは本当にペンの先まで
神経がかよっていたのかもしれなかった、
と歩きながら思ったのです。
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